madoka– Author –
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疑の解毒剤
先ほど、仏教用語の「疑」は「うたがう」という意味ではない、ということをお話いたしました。疑の定義は、端的に言いますと「因果法則に納得していないこと」です。そこで「なぜだろうか?理由は何か?証拠があるのか?」などのように調べる気持ちを大... -
【無事修了】年越し瞑想合宿のご案内【年末年始特別企画】
(2024.1.3追記)総勢23名が参加いたしました。熱海に初めて来られた方やお久しぶりの方、最近瞑想指導を受けたという方もおられ、コロナ禍や本堂改修を経て数年ぶりの定員いっぱいのお正月瞑想合宿でした。期間中の12/30から1/2の4日間は、ゴータミー精... -
【無事修了】11月ネット中継瞑想会(誓教寺・仏道実践会より)のお知らせ
修了いたしました。11/17〜11/24の8日間、修行者・スタッフ合わせて17名。山口からの朝晩の読経・瞑想・ご法話の配信の臨場感、迫力は宝物になりました。スマナサーラ長老、誓教寺様をはじめ関係者の皆さま、参加された方々、ご協力くださった仲間の皆... -
【無事修了】スマナサーラ長老の伊豆稲取ライブ中継と関連企画のお知らせ
A. ライブ中継宿泊瞑想会/伊豆稲取サテライト(10/7〜10/12) 伊豆稲取でスマナサーラ長老がご指導されるヴィパッサナー実践合宿に、ライブ中継で参加できる宿泊瞑想会(合宿)です。読経やご法話が本堂でライブ中継されます。全体スケジュール以外は、各... -
感謝と自我
Q. 感謝の気持ちがあると、喜びを感じられてすごくいいなと思うのですが、感謝と慈悲の関係について教えてください。 A. 関係ないんです。感謝したら気持ちいいでしょ? 自我です。感謝して人の機嫌とりたいでしょ? 自我です。お世話になっているのに、... -
自我が薄くなっているか否かを確かめる方法
Q 自我意識が薄くなったかどうかを確かめる方法はありますか? A それも現実問題として、観察してみてください。機嫌が悪くなったり、怒ったりする時は、そこに自我があります。自分の意見に反対されると嫌な気持ちになったり、怒りが出たりするでしょう。... -
ウィセッタ・セヤドーの詩『自己省察』
自己省察植物は、簡潔さの中に身を置いている。動物も、自然に生きるものは皆そうだ。それらは生まれ成長し、自然の流れにみずから従う。私達はその中に、満足、柔軟性、無欲、穏やかな調和、相互の交わりを見る。こうした働きは、見事に整っている。私達... -
5/28法要 スマナサーラ長老ご法話 あなたを幸せに導く心のポテンシャル
今日は本当に大事な法要でございまして、東京に近いところで修行できる道場が現れて出来上がって、それは四方サンガにお布施をする儀式を行いまして、仏教ではいろんな善行為・功徳行為たくさんありますけど、その中でほとんど重い価値のある善行為とし... -
理性を失うとは、
理性を失うとは、無明が強くなるということです。また、ありのままに観察することができないということです。この三つは同義語なのです。 スマナサーラ長老 施本「慢」とのつきあい方 〜慢・卑下慢・同等慢〜 (2016)より