生きとし生けるものが幸せでありますように

「運転するな」ではなくて「交通ルールを守ろう」


(在家には「仕方がない」こともある/「仕方がない」場面でも執着には気をつける)


 結婚式に行かなければならない、披露宴にも出席しなくてはならない、そこでスピーチしたり歌ったりしなくては‥‥‥とか生きている限りいろいろややこしいイベントは避けられません。そういう雑事は、日常生活のパッケージとして現れるものです。ただ、自分に在家として与えられている義務を果たしているのだと割り切れば、緊張もしないし、結婚式の挨拶なんかも見事に出来るようになります。感情でやってしまうと、「いくらなんでもお嫁さんの方の家系は褒めたくない」とか、よけいな執着が出てくるのです。「お嫁さんの方から来たあの連中は何だい」とか。そういう感情が入ってしまうと、挨拶は大失敗します。そうではなくて、「ここに両家の人々が集まっているのだから、みんなに喜びを与えなくてはいけない。代表として私が挨拶するのだから、みんなが来て良かったと思えるようにすることが私の仕事だ」と割り切れば、失敗なくうまく終えられるのです。

 面白いことは、俗世間・在家の世界でも、執着の少ない人は結構人気があるのです。周りから愛されて、好かれるのです。執着があると、何となく引き離すエネルギーが生まれてしまいます。私は仏教を教える仕事ですが、在家の方々に、「そんなことをするのは止めなさい」とは決して言いません。それぞれに社会環境がありますから、その社会環境の調和を保たなければいけないのです。そこで、出来るだけ執着が起きて自己破壊に陥らないように気を付けてください、と説くのです。「事故を起こしたら大変だから運転するな」ではなくて、「交通ルールを守って丁寧に運転しましょう」と強調するのです。

スマナサーラ長老 施本
「ブッダとの対話 サンユッタ・ニカーヤ(相応部)六処対応を読む 」より

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