生きとし生けるものが幸せでありますようにDāna

悪いストレス、善いストレス

仏教には「ストレス」がない?

仏教は「心」のことを説いています。具体的に悩みや苦しみを解決して心を清らかにする方法も教えています。「なぜ苦しむのか」「どうすれば苦しみの原因を減らせるのか」「本当の幸福とはどういうものか」「完全なる平安の境地とは何か」「その境地に至るためにはどうすればよいのか」ということを、きめ細かく丁寧に説明しています。ところが、これほど膨大な量で、信じられないほど厳密に心の分析をしているのに、仏教には「ストレス」に相当する専門用語がありません。

悪いストレス、善いストレス

私たちは「ストレス」と一言で表現していますが、楽しいときにかかるストレスと、嫌なときにかかるストレスは同じものでしょうか? 退屈なときにかかるストレスと、忙しいときにかかるストレスは? 仲の良い友人と話しているときにかかるストレスと、会社の上司と話しているときにかかるストレスは、同じものでしょうか? 

ストレスには2種類あり、心身に悪い影響を与える「悪いストレス」と、心身に良い影響を与える「善いストレス」があると考えられています。世間では、過労や不安、人間関係のトラブルなど嫌なことがあるときにかかるストレスが「悪いストレス」で、希望や目標をもって何かに取り組んだり、感動したり、楽しんでいるときにかかるストレスが「善いストレス」とみなされています。しかし、仏教の立場から見れば、楽しんでいるときのストレスも「悪いストレス」のカテゴリーに入るのです。

仏教は次のように考えます。善いストレスとは、「人格が向上する衝動」のことです。「こんな調子ではだめだ、前進しなくては、成長しなくては」という、居ても立ってもいられない状態になるのが善いストレスです。緊張感や緊迫感のようなポジティブな衝動で、破壊的な悪いストレスではありません。

夜、家でスヤスヤ寝ているとき、やけに熱さを感じて目が覚めたとしましょう。目を開けると、壁やタンスに火がついてパチパチと燃えています。あっちこっちから火が燃え上がり、家の消火器ではもう手遅れ。もう手に負えません。そのとき、普通の人は混乱して動揺して、消防署の電話番号まで忘れてしまい、どうすればよいのか分からないまま、ただうろたえるだけでしょう。そこで頭の良い落ち着いている人はどうするかというと、状況を瞬時に把握して、安全な場所を見つけだし、サッと逃げるのです。この「逃げよう」という緊張感が善いストレスなのです。

仏教の世界では、説法するとき、時々ものすごくストレスがかかるように話をすることがあります。脅迫するような感じで、聞いている方々に、居ても立ってもいられなくなるような状態をわざとつくるのです。「では、あなたはどうしますか?」と。そうすると勇気のある人は「逃げる」気持ちになる。解脱を決めるのです。そこで解脱するのです。このときにかかるストレスは並大抵ではありません。究極のところまで追い込まれて、巨大なストレスを感じないと、悟りには至れません。

このように「人格を向上させよう、心を清らかにしよう、善い行為をしよう」と自分を奮い立たせるポジティブな衝動が「善いストレス」で、それ以外のストレスは「悪いストレス」だと仏教では考えています。感情的なストレスはとても危険なものですが、同時に、人間を向上させる善いストレスもあるのだと理解しましょう。

悪いストレス=貪瞋痴

仏教から見れば、悪いストレスとは、「貪り、怒り、無知」のことです。だから仏教には「ストレス」に相当する専門用語がないのです。「悪いストレス=貪瞋痴」だと理解すれば、ストレスを明確に理解することができますし、それを解決する方法も見えてくるでしょう。

https://j-theravada.net/dhamma/kougi/kougi-133/

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