悪魔の誘惑
経典に「悪魔」という言葉が出てきます。それを私たちは、一神教で説かれている悪魔のような感じで理解しようとするのです。要するに、「邪魔者は外から入りますよ」と。
それは勘違いです。なぜならば、「私はまじめに修行している人間なのに、悪魔が迷惑をかけているのだ」という意味になるからです。
修行する人にとっての悪魔とは、自分自身なのです。他人には、あなたを惛沈睡眠に陥れることはできません。そんなことをやられると、却って腹が立つのです。他人には、食後の倦怠感を作ってあげることはできません。真夏の猛暑、真冬の極寒など、外から降りかかる条件もありますが、それに眠気という反応をするのは、自分自身なのです。
というわけで、仏道を実践しようとする人は、強い覚悟をしなくてはいけないのです。自分自身に打ち克たなくてはいけないのです。
存在欲も、死への恐怖感も、他の煩悩も、自分の心にあるものです。自分が妄想と思考で栄養を与えて育てているものです。解脱に達したければ、自分自身と戦わなくてはいけないのです。これは世にある一番難しい戦いなので、慈悲深いお釈迦様が、完璧な修行方法を語っているのです。
道は完璧に説かれています。実践してみるのは、我々の責任です。
アルボムッレ・スマナサーラ著
サンユッタニカーヤ 女神との対話 第一巻(サンガ新社)より

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コメント一覧 (2件)
madoka様へ
この女神はおもしろいキャラの女性ですね。
瞑想会に来る我々一般人(特に男性)には「慢」も目の前の障害になります。
「慢」は精進をバックアップしたり、自我を強める原因になったり、強くなる自我に気がつき「自己欺瞞」の落し穴を作ったりで、
俗な言葉で言うと「善悪両方を作る厄介もの」。一旦、精進を手放す覚悟も必要かもしれません。
田中さま
コメントありがとうございます。
この本のまえがきで、女神について「真理に興味のある、真理を探求する、理性的なものの見方をしている」などのスマナサーラ長老の解説が読めます。興味深いですね。
他人が気になるとき、自己観察はお留守になっているので自分がサボっていることになります。誰にとっても課題かもですね。。