Q 自我意識が薄くなったかどうかを確かめる方法はありますか?
A それも現実問題として、観察してみてください。機嫌が悪くなったり、怒ったりする時は、そこに自我があります。自分の意見に反対されると嫌な気持ちになったり、怒りが出たりするでしょう。しかし、「自分」というものが存在しない人には「意見」はあっても「自分の意見」はないのだから、怒りは出てきません。我々は「自分に逆らった」と争うのです。
「ほめられたい」という気持ちも自我です。とにかく、怒ったり、落ち込んだり、嫉妬したり、舞い上がったり、嘘をついたり、緊張したり、欲を出したり、そういう煩悩が強く現れるほど自我意識も強いんです。
「自分」という自我意識が減っているならば、生きるのが楽しくなっているはずです。ストレスは溜まらないはずです。どんなことがあっても、なんのことなくそれに対応して進めるはずです。何にもとらわれないはずです。引きずらないはずです。ゆっくりと自我意識が減っているならば、ゆっくりと人生は楽になっていくはずなのです。
自我というのは元々あるものではなくて、条件によって現れる化け物です。我々は、あるときは怒り狂うのです。またあるときは欲に溺れて盲目になるのです。あるときは興奮する。またあるときは落ち込む。「自分」というものは、このように条件によって変わるものです。どんなときの自分でも、その瞬間だけのことなのです。「私はずっといる」と言いますが、現実的に見ると、その「私」は瞬間瞬間変身するものです。結局は、私が何者かと言えたものではありません。
冥想すると、この自我意識が良い方向へ変わっていくのです。たとえば、食べ物を見るたびに欲が出て、ガツガツと食べていた人がいるとしましょう。食事の自己管理が、欲のせいでできなくなっている。ヴィパッサナー実践をしてみると、食べ物を見ただけで飛びかかって食べたくなる欲が減るかもしれません。毎日ほぼ同じものを食べているから、適量を食べればいいのではないか、と思えるようになる。この状態が、ある条件の中で自我が牙を出すことは無くなった、という意味です。
しかし同じ人が、珍味に出会ったりする。その時は、いつものことではないからいっぱい食べるぞ、と欲の自我を出すでしょう。さらに冥想が進むと、たとえ珍味であろうとも適量しか食べない人間に変わっていくのです。怒りの場合も、これと同じくゆっくり減っていくのです。
自我意識が減ったか否かは、このように自分が置かれているその時の条件から判断できます。といっても、以前なら怒っていた場面なのに気にしなくなったとしても、怒りの自我が完全に消えたとは言えません。別な条件に出会ったら怒ってしまうからです。しかし、怒りの自我が減ったことは確かなのです。
自我という気持ちが減れば減るほど、心は安らぎを感じます。葛藤が減ります。冥想が進んでいくならば、欲・怒り・嫉妬・落ち込み・悩み・混乱・無知などの煩悩が牙を出す頻度が減っていくのです。代わりに、安らぎのレベルは上がっていくのです。
自我が薄くなっているか否かを確かめる方法は、二つです。一つは、怒り・欲・憎しみなどの煩悩の減り具合です。
もう一つは、心の安らぎのレベルです。
『パティパダー 通巻111号』
釈尊の教え・あなたとの対話 冥想って何のため? より
質問とスマナサーラ長老のお答えを抜粋しました。
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