生きとし生けるものが幸せでありますように

先生から20年以上前に受けた教え

ヴィパッサナー冥想を正しく理解するために一番大事なことって何でしょうね?

Sさん

その人が置かれている状況によって違うと思います。
私にとっては、合宿中に先生から受ける個人指導がとっても有意義でした。

まあ、多くの人にとって有意義でしょう。

Sさん

はい。冥想の世界は心の中で展開されるので、物質のようにハッキリ見えません。なので、カッコつけずに正直に伝えることを心掛けています。

合宿中で、印象に残っている教えはありますか?

Sさん

20年以上経った今でも鮮明に覚えている教えは、いくつかあります。そのうちの一つは、次のようなものです。

① 仏教は「心の科学」と言える。
② 世間の科学は、仮説を立てて研究する。仏教の信仰も、仮説的な信仰である。
③ しかし、ヴィパッサナーを実践するときに仮説は要らない。

ちょっとややこしいですね。ひとつずつ説明してもらえますか。
まず、①「仏教は心の科学」とは、おなじみのフレーズです。簡単にまとめると、どうなりますか。

Sさん

仏道の実践を続けると、すべての生命の「心」に関する普遍的な法則を発見していきます。

ヴィパッサナー冥想によって現れる智慧は、修行する個人の主観的な経験ではなく、実は、すべての生命の心に共通する普遍的な働きだと発見します。

ですから仏教とは、生命の心に関する科学と言えます。

そうですね。では、②科学で「仮説を立てて研究する」とは?

Sさん

科学の世界では、真偽はともかくとして、ある現象を合理的に説明できる仮の説(仮説)を立て、実験や観察によってそれを検証して確かめる「仮説検証」が一般的な研究方法とされています。

たとえば、「親と子が似ているのは、遺伝情報を伝える何らかの化学物質によるものだ」という仮の説を立て、観察や実験を重ねて、細胞の核内にあるDNAが遺伝物質であることを突き止める、といったようなことです。

観察や実験の結果、逆に、仮説は間違っていたと分かるかもしれませんし、「間違ってはいないが、改良しなければならない」と発見するかもしれません。

なるほど。そして、仏教の信仰も仮説的な信仰だと?

Sさん

そうです。
ブッダは、仏法僧の三宝を信仰することを推薦しています。しかし、他の宗教が語る無条件の絶対的信仰とは違って、仮説的です。

科学の仮説は、収集したデータや理論をもとに立てるもので、まったく根拠のない命題ではありません。自分勝手に立てたりせず、一つの仮説を立てるために相当研究します。立証する方法があり、立てた仮説が正しいか否かを立証することを目指します。

仏教の信仰もまったく同じです。まずは仏教の教えを学んで、それについて考えたり、自分の人生に当てはめたり、世界の出来事を観察したりして、合理的に納得できて、理解できるなら信じます。ですから、「仮説的」な信仰と言えます。

修行者は、ブッダが語られた教えが正しい真理か、ブッダが説く悟りの境地は真の幸福か、自分自身で立証してみなくてはなりません。このやり方で仏教徒は解脱に達すると説かれています。

つまり仏教の信とは、「根拠のない信」(amūlikā saddhā)ではなく、「理性に基づく信」(ākāravatī saddhā)です。

ふむふむ。ところが、③ヴィパッサナーを実践するときは、仮説は要らない、ということですか?

Sさん

「お釈迦様の教えは正しいのだろうか?」という「理性に基づいた疑」で修行を始めるのは構いません。ただ、お釈迦様は、ありのままの事実を発見したければ、如何なる先入観もバイアスも障害になるのだ、というスタンスです。

仏教の立場は「仮説さえも立てないで、修行に挑みなさい」です。

ややマニアックになりますけど、何でも「無常だ、無常だ」と念じること(無常観)や、何でも「苦だ、苦だ」と念じること(苦観)も仏教では推奨されています。「仮説さえも立てない」という教えと矛盾しませんか。

Sさん

それは、お釈迦様が、心の成長を心理学的に観ていたからです。何かを念じ続ける冥想や呼吸冥想などで、心に集中力が現れます。

大事なのは、その集中力であって、宗教的な観念ではありません。心の働きは、人間みなに同じです。観念や考えは人それぞれ違います。集中力という心の働きだけは、すべての人間にとって必要な能力です。

集中力を育てる必要があるから、お釈迦様は、他宗教でも実践している修行方法を科学的に改良して、仏道に取り入れたそうです。

サマタとヴィパッサナーの違いですね。
今までの説明は、結構ややこしい内容ですが、全部、合宿中の個人指導で教えてもらったのですか?

Sさん

いいえ。恥ずかしながら当時は、「科学では、仮説を立てて研究する」という箇所がピンとこず、先生からは、「そんなことすら知らないようでは話が通じない」と一蹴されて、インタビューが終了しました。

それがショックだったので、20年以上経った今でも鮮明に覚えています。

確かに、それでは話が通じないでしょうね(笑)。これからも心折れることなく頑張ってください。

Sさん

ありがとうございます。

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コメント一覧 (2件)

  • 興味深く拝読いたしました。
    科学研究と仮説/ヴィパッサナー実践と仮説について、20年以上前の個人面談で教わっていたのですね!
    当方、去年、長老に教えていただきました(Youtubeですが笑)。

    https://www.youtube.com/watch?v=RWJfsBYIkfc
    Q&A動画:『ブッダの因縁法則』
    なぜ、仮説いらない(立てない)のか、ホンモノの発見とは?が説かれています。

    教えが有機的につながりました。ありがとうございます。
    (一蹴、あるあるだなぁ〜とか言ってないで教わったことやります)

  • 「お釈迦さまが説かれた法則は、調べることができる」「神は調べることができない」「調べることができる法則は、因縁法則」「先入観を持って調べると、間違うおそれがある」
    動画のご紹介、どうもありがとうございます。とても重要な動画だと思います。

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