生きとし生けるものが幸せでありますように

区別してから、判断する


ヴィパッサナー実践とは、いかなる現象も判断せずに、そのまま観察する訓練。

ヴィパッサナー実践を行う人にとっては、判断することが修行の障害になる。
判断することで、成長が止まる。
美味しい料理、高価なブランド品、人気のあるタレント、セレブの御用達etc.
物事に対して判断しないのが、覚りに達した聖者たちの精神。

「判断」と「区別」は異なる。
区別する能力とは、認識する能力。物事を理解する能力。智慧の開発を促す知識的な働き。
区別ができなくなったら困る。それは脳が色盲のような状態になること。
見るもの、聴くもの、嗅ぐもの、味わうもの、触れるものを区別する能力がなくなったら危険だ。

問題は、区別することではなく、判断することにある。

人間の心は、区別すると同時に判断を行う。これは分離できない。
①区別してから②判断するなら、リスク・マネジメントできる。
しかし、心は感情に拉致されているので、その能力はほとんどない。
人は、①判断してから②行動する。最初から、心を判断に染めて行動する。
最初から判断して物事に取り組むと、心は硬くなって変化に対応できなくなる。

産まれてきた子供を、医者として育てると決めるとしよう。
子供の将来について、瞬時に判断し終わって、それから区別能力を生かして教育に励むことになる。
最初に判断してしまった場合、子供の能力・好み・自尊心などを無視して、無理に教育するだろう。
最悪の結果になるに違いない。
反対に、子供の能力・好み・性格などを区別しながら将来性を判断するなら、子育てはスムーズに進む。
その場合は、赤ちゃんが将来、医者になろうが、芸術家になろうが、サラリーマンになろうが関係ない。
本人が歩みたい道を歩んでいる。

人生を幸福に導きたいなら、判断を下してから物事に取り組むのは控えるべきだ。
判断を下すのは貪瞋痴の感情。心は感情に拉致されている。
感情で判断しないように戒めていくなら、区別してから判断する方向へと、心が成長する。

ヴィパッサナー実践は、純粋に区別能力のみを育てる。
一般人に備わっている区別能力をさらにレベルアップさせて、完成させる。
その過程で、ありのままに現象を観察できるようになる。
徐々に真理を発見する。
何も判断していないのに、一切の現象は無常・苦・無我だと発見する。

仏教を学ぶ人々は、一切の現象は無常・苦・無我だと無理に判断する。
実践を成功に導いた人は、真理を判断するのではなく、発見する。

ダンマパダ法話全集vol.10pp254-257

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