生きとし生けるものが幸せでありますように

「四方サンガへのお布施」がもたらす功徳とは

5.28法要では、大改修が完成した本堂を「四方サンガ」にお布施いたします。
四方サンガにお布施する功徳について、スマナサーラ長老にお聞きします。

四方サンガへのお布施というのは、一番徳の高い功徳になっているんです。
その理由は、四方サンガといえば、サーリプッタ尊者、目連尊者をはじめ、すべての比丘たち・比丘尼たちが、みんな入るからです。数えられないくらいの阿羅漢たちがいます。現代にも、どれくらい比丘たちがいるかわかりません。

基本的に、サンガに寄付したら、お布施したら、それ以上のお布施の徳はないのです。徳というのは、心にimpartする(与える、伝える)ものだから、自分自身がどれぐらいの種を植えたかは、各自で理解しなくてはいけません。

そこを一人一人が感情的に、いろんなことを考えていると、ものすごく巨大な徳が、耳かきで取るような感じで小さくなってしまうのです。まあだいたい、誰だってそういうふうになるのです。海みたいに大きな徳をあげているのに、みんな、耳かき一つでちょっと取って帰るというふうになっています。たくさん功徳が積まれるのを見ても、いくら頑張っても頑張っても、なかなかうまくいかない。

一つは、純粋な気持ちで法要を行おうとすると、いろんな邪魔が必ず入ります。特に、悪魔の力が入ってきて、ずうっとめちゃくちゃに壊したりする。仲違いさせたり、自我を張らせたり、いろんなことをさせるのです。「活動を破壊してやるぞ」と。

仏教のために純粋な気持ちで活動することは、仏教徒でなければできません。私たち一人ひとりが仏法僧に命を預けて生活しないと、この魔の力は割り込んで来ます。私にも何もできませんよ。「ああ、悪魔が来ているな」とわかりますが、どうすることもできない。

一人一人が、「仏法僧に命を預けているんだ」、「私の命というのはないんだ」という感じでいると、悪魔がアクセスすることはできないんですね。ただ、それほど力強い方々は、まあ少ないです。

何か活動すると、必ずいろんな邪魔が入ってきます。そんなことは何も気にしないで進めていく。邪魔が入ったことを気にしたり、「あの人がああ言った」「この人がこんなけしからんことを言った」とか、「あれが悪い」「これが悪い」「何でこんなことになっているのか」とか、頭の中であらゆる主観的な、すごく次元の小さい感情がゴチャゴチャ回転すると、偉大なる功徳が入らないんですね。

財産・宝物が山のようにあるところにいても、その人の手足が切断されているなら、何も取れなくなってしまいます。せいぜい、口でちょっと一つ二つ取るぐらいしか出来ないのです。

功徳そのものには、ものすごい力があります。すぐさま、その結果が出てくるんですよ。でも仏教徒たちが、なかなか理性を使わないので、うまく行かない。そこは注意するところです。だから皆様方は、仏陀の家で、お釈迦様と一緒にいて、お釈迦様、サーリプッタ、モッガッラーナ両尊者をはじめとする、すべての聖なるサンガと一般の比丘たちへ差し上げます、という気持ちでお布施した方がいい。

一人一人に「こうなって欲しい、ああなって欲しい」という希望は、なくても大丈夫です。仏法僧の力で、その人に必要なものは全部揃ってくるという業の法則があるんです。それは、dhammatā(ダンマター)と言います。「法の特色」「真理の特色」。宇宙法則をも乗り越える、バイパスする力がありますよ、真理の法則には。個人的に「私はあれが欲しい、これが欲しい」と決めなくても、解脱に達するまで支えてあげるんですね。

この功徳がなくなるのは、皆様方が解脱に達したときです。解脱に達すれば、いらなくなってしまいます。なぜなら、解脱に達すると五取蘊を作らないからです。功徳というのは、この五取蘊を支えるための力なんです。五取蘊の中で、四つは心ですからね。「受・想・行・識」の四つ。
それらがすごく力強く支えられていると、ヴィパッサナー瞑想実践で解脱へ達することまで出来る。瞑想する場合は、相当な力が必要ですよ。ポテンシャル・エネルギーが必要です。そのための功徳なんです。

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