合宿5日目の質疑応答です。痛みについての質問がメインです。今思うと20名ほどの参加者で、スマナサーラ長老からのご指導を直に受けられたことは、筆舌に尽くしがたい幸せでした。投稿者自身、この合宿では「痛み」と真剣に向き合うことが出来ました。今でも当時の記憶は鮮明に甦ります。ただただ、長老には返しきれない恩を感じます。
質問者Eさん
痛みについてなんですが、痛みを観察する時に自分の痛みでなくて、例えば、足が痛い時は、足のそこに痛みがあると、「ある、ある」という感じで観察していると心と切り離して割と客観的に見れて、そのうちに心が他の方に動いてしまうんですけれども、そういう見方と、あとは感覚をとことん味わって痛みが生まれて消えていくのを一体感というか、感覚を一体感として感じるやり方もやっているんですけれども…
それはそういうふうにやっていった方がいいんでしょうか?
感覚として感じていった方がいいんでしょうか?
感情が入ると、それ、痛いという感情が入ると痛みが増幅するのはわかるんですけれども、その感覚をもっと感じて、痛くなるまで味わいぬいちゃった方がいいのか…
それとも最初のやり方で部分的にただそこにあるってほおっておいていいのか…
長いこと、無言。
ヴィパッサナーのやり方っていうのは、まあ一応教えているはずなんですけど。言いかえれば、ヴィパッサナー瞑想はどのようにやる瞑想かという質問なんです、聞いているのは。まあ、痛み、痛みと感じてください。その局部に集中して。
質問者Eさん
痛みっていう言葉がすごく痛みを感じてしまうんですけれど。痛みって言わない方が感じないんですけど。
どうなりたいんですか?
質問者Eさん
痛みを消したい..
じゃあ、他のところに行ってください。
質問者Eさん
もうちょっとがんばってみます。ありがとうございました。
質問者Eさん
痛みが生まれて痛いと感じているなあ、嫌っているなあって見ることですか?
質問者Eさん
客観的に見える時もあるんですけれども、それが主観的に変わってしまう時もあって、その時は又客観に戻すのがむずかしくなってしまうんですけれど。
~*~*~*~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~*~*~*~
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