世の道は、汚れの道
世間の生き方に対して、お釈迦さまは「汚れの道」という言葉を使う。
「生きる」という現象を観察すると、生きることを応援して支えてくれる現象より、生きることの障害となる現象のほうが遙かに多いと発見する。
生きるのは大変だが、死ぬのは至って簡単にできる。成功するには並々ならぬ努力が必要だが、失敗したければ簡単。豊かで平和な家庭を保つには大変な苦労をしなければならないが、家庭を壊すのに苦労は要らない。他人の信頼を勝ち取るには長い期間を要するが、わずかな過ちでも一瞬で信頼をすべて失ってしまう。
人はこの事実を意識化せず、無意識で感じている。無意識に起こる衝動で生きている。そのため、自分の命を支えてくれる人や物に執着しなくてはいけなくなる。苦労して守らなくてはいけなくなる。命を脅かすさまざまな現象を、避けなくてはいけなくなる。壊さなくてはいけなくなる。
生きることのナビゲーターは、欲と怒り。自分好みの生き方と、世間の生き方を照らし合わせるので、理想的な生き方を見出せなくなっている。欲と怒りが人生をナビゲートしているのは、世間の人間も同じ。世界は欲・怒り・無知の感情で生きている。「欲がなければ、競争しなくては、相手に打ち勝たなくては、生きられない」「怒りで対応しなければ、世間に舐められてしまう」「正直者はバカを見るだけ」などの人生哲学まで作っている。それは自然法則に反した生き方だと気づかない。
世間の生き方は貪瞋痴にナビゲートされ、「貪瞋痴がなければ生きられない」という罠に嵌められている。世間の人々は、貪瞋痴を強化することに頑張って、制御することを嫌う。それは存在欲のせいだ。世の道は、貪瞋痴を強化する道。こころを次から次へと汚す生き方なので、仏教は、世の道は「汚れの道」だと喝破する。
世の道を乗り越える
世の道を批判しても意味がない。生命は、「貪瞋痴を無視しては生きられない」という障害を持っている。この状況をありのままに知り尽くさなくてはいけない。貪瞋痴にナビゲートされる生き方は、苦しいものだと理解する。争い・戦いの原因になると理解する。貪瞋痴があるから、他の生命が危険な存在に見えてしまう。貪瞋痴があるから、慈しみ、思いやり、やさしさを実行できないのだと見えてくる。
このように発見すると、「何としてでも生きていきたい」という存在欲はどうなるだろう? かなり弱くなっていく。存在欲が弱くなると、貪瞋痴も弱くなる。そうなると素晴らしい結果が現れてくる。世は互いに戦っているが、自分は戦いから離れることができる。世は互いに憎み合っているが、自分は他を憎まないでいられる。世は互いに敵視しているが、自分は他の生命を慈しむことができる。世は生きることで苦から苦へと進むが、自分は苦を減らす生き方を選んでいる、と見えてくる。このように世を乗り越える道を、お釈迦さまは「正しい道」と推薦している。
無執着を実践する道
「生きていきたい」という存在欲が、執着の親分だ。生きていきたいからこそ、財産、名誉、権力などに執着しなくてはいけない。現象に執着するために、貪瞋痴を使う。貪瞋痴が人を執着から執着へとナビゲートする。
執着があると、苦しみが生じる。執着すること自体も苦しみだ。なぜなら、執着とは無理な話だから。執着とは不可能を求めること。執着しても、その現象は無常で変化するから、悲しみを経験しなくてはいけなくなる。若い自分が若さに執着しても、日々、老いていく。老いることは自然現象だが、若さに執着する人が老いると、精神的な苦しみを味わわなくてはいけない。グルメな人が生活習慣病に罹ったとする。健康に執着していたら、病気から生まれる自然な苦しみより、もっと激しく苦を経験することになる。その人はかつてグルメだったので、食べるものに執着していた。病人にグルメ生活はできないから、さらに苦しむことになる。人の苦しみは何であろうと、調べてみると、執着を原因にして生まれると発見できるだろう。
仏教徒は、生きることは自然の流れに任せて、執着しないことにする。無執着を実践する。「無執着の実践」は、いろんなランクでできる。お金を儲けるが、それに執着しないで正しく使う。子供を育てるが、子供への愛着を抑える。結果として、子供の尊厳を守る立派な親になる。自分が持っているものを、他人と分かち合う。必要なものを、必要な時期に、必要な人に渡す。このように生活すると、無執着が限りのない安らぎを与えてくれると発見する。最終的に、一切の現象は無常であると発見して、いかなる現象にも執着しない境地に達する。その人は、究極の安穏に達する。(Anupādāya nibbuto)「仏道とは無執着を実践する道である」と理解することができる。
「すべて無常だから、執着は不可能である」と発見することが智慧だ。智慧によって、こころにある「執着する癖」が消えたなら、それを解脱と言う。
https://j-theravada.net/dhamma/kantouhouwa/kantou268/
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