修行というのは、本来厳しくつらいものだという印象があります。お話をうかがっていると、苦しい修行を経なくても成長していけるということでしょうか?
お釈迦さまは、「生きることはどうがんばっても苦しみで終わる」と教えられましたが、苦しみなさいと仰ったわけではありません。”苦しむものこそ幸福を得られますよ”とは一度も仰っていません。仏道というのは、とても幸福に楽しく生きるための道です。瞬間瞬間、楽しいものです。修行自体は、苦しいはずがないのです。それを何とか発見していただきたい。幸福は「明日」得るものではなく、「今」得るものです。
「今」という瞬間に怒りを持つこともあると思うのですが。
今、何かのことで怒ったら、何とか外に出て、どこかの喫茶店にでも入って珈排でも飲んで落ち着くようにしなければならない。それは「今」の話で「将来」の話ではありません。怒りが起きて苦しみが生まれたその瞬間に、幸せにならなければならないのです。すぐその場で幸せになるのです。
人と話すときに、いろいろ余計なことを考えると、様々な怒りや苦しみ、いろいろな感情が生まれてきます。ストレスが溜まってきます。そのとき「なぜ私が苦しまなければならないのか」と自分に聞いてみてください。いつも「今」という瞬間を存分に気持ちよく、明るく楽しく、いつも「今」、幸福を味わえる自分でいてください。実行していくと、たとえ何が起ころうと、何に出会おうとも、こころに満ちあふれる幸福を味わうことができるようになります。これは解脱の楽しみではありませんが、生きている楽しみです。
特に、周りの状況が非常に悪いとき、つまりひどい目に遭ったとき。それでも自分のこころが安らかでいられる場合。周りの状況に引きずられずに、その状況を乗り越えてしまったということですから、ものすごく自信がつきます。それは大きな幸福です。
客観的に見て、誰にとってもつらい状況にあるときでも、こころは安らかでいなければならないのですか?
そうあるべきですね。幸福というのは「今の瞬間」に得るべきものであって、「明日」幸福になろうという人は、ずっとなれません。「今日は苦しんでもいい」ということですからね。本当に生きている現在の瞬間は不幸でもいい、まだ現れてもいない将来に幸福をつかみますと言う人は、ずっと苦しむことになります。
明日を信頼しない方が賢い生き方です。智慧のある人は明日を信用しません。明日はどうなるかわからないのですから。「今日、幸福になる」、「今日、わずかでもこころを汚してはいけない」、「今日を楽しくがんばる」…そのように瞬間瞬間、幸福をつかまえる道が仏道です。
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