第二は、疑です。疑が無くなるとは、すべてのことを知り尽くして一切智者になる、という意味ではありません。すべての現象は因縁に依って生じる一時的なもの。「私とは何か」と観察した修行者は、私という現象は因縁に依って生じて消えてゆくものだと発見する。「私」に限らず、客観的な世界の現象も、因縁に依って生じては消えてゆく流れだと発見する。要するに、因果法則に目覚めることです。因果法則とは仏説そのもの、また、真理そのものです。これを発見した人は、いままで存在・世間について語られたことには根拠が無いと分かる。仏説は微塵も間違いのない完全な教えであると確信する。人間が悩んでいる、過去についての問題、未来についての問題、現在についての問題は、すべて消える。これが「疑が無くなった」ということです。
Happy Vesak Day
スマナサーラ長老 施本
「宝経」法話 第二版 より
第10偈 解説 p.53
コメントをどうぞ