生きとし生けるものが幸せでありますように

 お布施者 Online芳名帳

Paññā Narānaṃ Ratanaṃ 
智慧こそが人間の宝物

如来釈迦牟尼仏陀の真実の教えを広く伝えて、人々に心の喜びと安穏を与えるため、仏法学舎の活動の意義を深く理解され、賛同の浄財を寄せられた皆様に、覚りの光が顕れますように。まことの幸福がありますように。
智慧の寄付は最高の寄付になります。世に仏教が存続することが人類に最高の幸福と安穏をもたらします。
この清らかな善行為が最大限に生かされ、人々の大きな喜びとなりますように。
この功徳によって皆様が日々安寧に暮らし、涅槃への礎を築かれますようにと祈念いたします。

Paññā Narānaṃ Ratanaṃ 智慧こそが人間の宝物

如来釈迦牟尼仏陀の真実の教えを広く伝えて、人々に心の喜びと安穏を与えるため
仏法学舎の活動の意義を深くご理解され、賛同の浄財を寄せられた皆様に
覚りの光が顕れますように。まことの幸福がありますように。

智慧の寄付は最高の寄付になります。
世に仏教が存続することが人類に最高の幸福と安穏をもたらします。
この清らかな善行為が最大限に生かされ、人々の大きな喜びとなりますように。

この功徳によって皆様が日々安寧に暮らし、
涅槃への礎を築かれますようにと祈念いたします。

Evaṃ āditto kho loko,
jarāya maraṇena ca
Nīharetheva dānena,
dinnaṃ hoti sunīhataṃ.


命という家は、老死の炎で燃え続けている。
救い出せる宝物は、布施である。
〔「第二の二 婆羅門経」 増支部経典3-53〕

お布施者ご芳名

ご芳名一覧 (敬称略、匿名希望の方は掲載しておりません)


合計¥58,821,723
※2024.1末時点
予算
本堂改修¥55,000,000
僧房・宿泊棟¥75,000,000

人間は、無数の生命から、多様な恩恵を大量に限りなくいただきながら生きています。物事を希望どおりにうまく運びたいなら、借りだらけの人生を逆にして、借りを返す生き方に転換しなければなりません。「与える行為(dāna)によって豊かになる」とは、ブッダが教える真理です。お布施で建物などを作ると、長い将来にわたって徳を積むことになります。建物がある限り、そこで出家者が修行する限り、在家者が仏教を学ぶ限り、お布施した方々に徳が積まれ続けます。人生の借りが消えて行きます。お布施の額は関係ありません。ポイントは「どれだけ欲を捨てることができたか」です。

Human beings live with a large and unlimited amount of various benefits from countless lives. If we want to keep things working out as we wish, we must reverse our life full of debts and turn it into a life of paying back debts. The truth that “by the act of giving one becomes enriched” is a teaching of the Buddha. When you construct a building with your offerings, you are making virtue for a long future. As long as the building is there, as long as monks practice there, as long as lay believers study Buddhism, virtue will continue to accumulate for those who donate. The debt of life will continue to disappear. It does not matter how much you offer. The point is how much you were able to give up greed.

Q 仏教の先祖供養は、どのようにすればよいのでしょうか?

生命の輪廻転生は「業」が決定権を持っています。「悪業」は心を暗くする行為、「善業」は心を明るくする行為です。どんな生命も「業」によって転生するのです。しかし人間は、亡くなった親しい人々のことを忘れたくはない。亡くなったことは悲しいし、寂しい。できることなら何とかしてあげたい、という気持ちになります。これが人類共通の気持ちなので、世界では様々な形式で葬式儀礼などが行われています。

人間なら、先祖供養したい気持ちになる。先祖供養は、亡くなられた方々に対する愛情、感謝の表現でもあります。「親父は死んで、土になりました。知ったことではありません」と忘れてしまうよりは、感謝をもって先祖供養するのが高く評価すべき良い性格です。ですから、お釈迦様も先祖供養の正しいやり方を教えてあげることになったのです。

輪廻転生の決定権は、業が握っている。それは変えられません。お釈迦さまは、「先祖を偲んで善行為をして、功徳を積んで、廻向しなさい」と説かれました。先祖が廻向を受けたいと望んでいるなら、たちまち幸福になるのです。もし自分が偲ぶ先祖が廻向を受けられない次元に転生しているなら、廻向は届きません。その場合は、自分が積んだ功徳は別の先祖に届きます。人は無始なる過去から輪廻転生しているので、先祖も無数にいるのです。善行為をして、功徳を積んで廻向すると、その功徳を受けて幸福になる先祖は必ずいます。先祖供養は無駄な行為になるかも知れないと心配する必要はありません(お釈迦さまとジャーヌッソーニ・バラモンとの対話。増支部経典ジャーヌッソーニ章)。  

自分にできる範囲の善行為をしましょう。大袈裟なことではなく、自分の心が明るくなる行為、良識的な人々が賛成する行為、人々や他の生命の役に立つ行為、すべてが善行為です。 善行為をして、
「この功徳が先祖に届きますように。先祖が安らぎに満たされますように」
と唱えてください。それで廻向の儀式は完了します。どんな場所でも、どんな時間でも構いません。毎日、何かの善行為をして、毎日、廻向しても構いません。先祖供養は、毎日行うこともできるのです。

功徳の中でも最高の功徳は、冥想の実践です。冥想の中でも『慈悲の冥想』は誰にでもすぐ始められるので、ぜひ実践してみてください。

「先祖供養と霊のはなし」

Idaṃ me ñātīnaṃ hotu
sukhitā hontu ñātayo. ( ×3 )


この功徳が先祖に届きますように
先祖が安らぎに満たされますように

Idaṃ me puññaṃ āsavakkhayā vahaṃ hotu. ( ×3 )

この功徳によって、我々は涅槃へと導かれんことを

日本にテーラワーダ仏教のお寺のような建物ができたら、これは日本で歴史的な大事なことです。日本には歴史上、仏教は入っていますが、ブッダの教え(釈尊の根本の教え)は入らなかったのだからね。21世紀には、迷信的なオカルトや狂信的なカルト宗教ではなく、もっと厳密に具体的・科学的な教えが必要になります。これからの日本に釈尊の教えは必要だと思います。そこを始めてみようというところですから、本当は皆様、小さいなりにとんでもないことに手を出しています。ピラミッドのような永久的なものを作ろうとしているのです。

仏教のお寺は死にません。お寺は決してお坊さん達だけのものではありません。仏教は在家の方々がいないと成り立たない。私たちお坊さんが偉いわけではない。皆、兄弟なのです。出家は経済活動をしません。皆様方は経済活動をする。お互いに助け合って、皆様のできないことは私がする。私のできないことは皆様がするということで、お寺というのは仏教の人々、皆様の場所ということなのです。

「お布施について」

日本にテーラワーダ仏教のお寺のような建物ができたら、これは日本で歴史的な大事なことです。日本には歴史上、仏教は入っていますが、ブッダの教え(釈尊の根本の教え)は入らなかったのだからね。21世紀には、迷信的なオカルトや狂信的なカルト宗教ではなく、もっと厳密に具体的・科学的な教えが必要になります。

これからの日本に釈尊の教えは必要だと思います。そこを始めてみようというところですから、本当は皆様、小さいなりにとんでもないことに手を出しています。ピラミッドのような永久的なものを作ろうとしているのです。

仏教のお寺は死にません。お寺は決してお坊さん達だけのものではありません。仏教は在家の方々がいないと成り立たない。私たちお坊さんが偉いわけではない。皆、兄弟なのです。出家は経済活動をしません。皆様方は経済活動をする。お互いに助け合って、皆様のできないことは私がする。私のできないことは皆様がするということで、お寺というのは仏教の人々、皆様の場所ということなのです。

「お布施について」