私たちは、一時的にでも、たとえわずかであっても、渇愛を減らすことで安らぎを経験できる。
だから、「もし渇愛から完全に心を解放できれば、究極的な安らぎに至るのではないか」と推測できる。これは信仰ではなく、理性に基づいて達することが可能な推測。
「渇愛があればあるほど、生きることに挑戦できる」というのは世間の考え。
生老病死を続けることに挑戦して、生老病死を避けることができると思っている。世間はこの矛盾に気がつかない。
「渇愛は苦しみの原因である」とは、仏陀の言葉。「幸福三昧で、刺激一杯で生きている」と言うより、「幸福三昧で、心に安らぎを感じて生きている」と言った方が正しい。
苦しみを完全に乗り越えたいと願う人は、自分を際限なく悩ませている「渇愛」を倒すことに挑戦すればいい。
これでもう苦しまないpp116-122
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コメント一覧 (1件)
「苦しみから離れる方法」
1. 善き仲間(善友)
2. 理にかなった思考
3. 正しい修行
悟りとはただの言葉。真実は苦しみがない。
〜カレンダー「苦しみを超えて」/カンポン・トーンブンヌム より〜