慢とは自我
慢についてのテーマもありましたが、「我々女性たち、我々女性たち」と言うと、これが慢でもありますよ。女性という慢。「我々男たちが」と言ったとたん、男性の慢。
慢ある限り悟りませんね。
慢というのは自我のことなのです。「私」という自我のことなのです。だから、自我を破らないとなりません。これは難しいのですよ。
もらった質問には、「『仏教をどんどん学んでいくと自我が薄くなる』と、アビダンマの本にも書いてある。でも自分の場合は全然薄くなっていない」とあったのですが‥‥‥。
薄くなりますよ!だって、すべて輪廻として見る。すべて生命として見る。すべて色受想行識で見る。というように見ていくと、なんだか自我には立場がない。「私」と言ったって、色受想行識でしょ。そちらに男も女もないでしょ!?五蘊の場合は、男・女がないのです。そのように、仏教のものの見方を学んで実践してみることで、自我は薄くなっていくのです。
スマナサーラ長老 施本
施本の元になったのは、2021年7月オンライン開催された第1回スジャータ ・フェスタでのご法話
「生命」のシステムを破って解脱をめざす より
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