熱海の冥想合宿で、もう少し〇〇しておけば良かった、ということはありますか?
とってもたくさんあります。
そのなかで一番、心に残っていることは何ですか?
捨てるためでなく、得るために冥想をがんばっていたことです。
わかりにくいですね。もう少し詳しく。
たとえば、オリンピックの金メダリストや野球・サッカーのトップアスリートなど、並外れた努力や才能で大活躍している人たちへの憧れがずっとありました。
別に問題ないと思いますが。
がんばって成功することへの憧れ自体は問題ないと思います。
問題は、世俗的な成功や賞賛は良いものだという価値観から自由になれないまま、冥想を続けていたことです。
流行りのWell-Being的な価値観で冥想していたのですね。
そのとおりです。
一切の現象は苦しみであり、生き続けたいという渇愛が苦しみの原因だと、力強いご法話を何回も何回も聞いていたのに、「離れよう」という気持ちになれず、「得よう」という気持ちのままでした。
つまり、心の奥では、世俗の出来事には何か良いものがあるはず、何か価値があるはずという思いがあって、未練タラタラでした。
法話をまじめに聞いていなかったのでは?
いいえ。その当時は、嘘偽りなく、真剣にご法話を聞いているつもりでした。
人生で一度も聞いたことのない話ばかりで、合宿中に感動に打ち震えたことは数えきれないほどあります。
そこまで何度も感動したのに、心が変わらなかったというのは、何というか….
智慧が足りなかったのですね。
今はどうですか?
人生のあらゆる出来事について、「まあ、こんなものだろう、大したことないな」「すべてはシャボン玉のようなもの」「すぐに弾けて消えるものを、必死になって追いかけても意味がない」という気持ちになりつつあります。
仏教的には進歩していると。
明るい未来のため、将来のためにがんばるより、すべて無常だという見方で「悔いのない今」を連続して過ごせばよいというマインドセットに変わりつつあります。
何も期待せずに冥想する、という意味が何となくわかるようになってきました。
そうですか。よくわかりませんが、がんばってください。
ありがとうございます。
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