個人の失敗や悩み苦しみから、世界全体の失敗・悩み苦しみまで、すべては、感情に支配されて生きているから起きること。理性で生きるなら問題が起きるはずがない。いくら格好つけても、人間は感情で生きている存在。他の生き物と何ら変わらない。
獣と同じだと言われたら、人間のプライドが傷つくだろう。しかし、あえてそのように言わなくてはならない。プライドが邪魔しているから、私たちは原始脳の指令で生きているという事実が見えなくなっている。
一つ、例を挙げよう。
男性には、ネクタイを締めるという習慣がある。生きるためには何の役にも立たない、無意味な行為だ。ところが私たちは、ネクタイの締め方が少々曲がったら、ネクタイのデザインが服に合わなかったら、とても緊張する。結婚式なのか、葬式なのか、会社なのか、行く場所によって、ネクタイを変えなくてはならない。大脳は、余計なことに苦労する羽目になっている。理性で考えれば、ネクタイとは生きることに何の役にも立たない飾りにすぎない。
しかし、感情でネクタイの問題を見ると、そうはならない。ネクタイがTPOに合わなかったらマズイ。失礼になるかもしれないし、他人に軽視される可能性もあるし、批判を受けるかもしれない。それでは安心して生きられない。だから「人は、存在欲のために生きる目的でネクタイを締める」と言える。
他の行為についても、各自で考えてみるなら同じ結論に達するはず。実のところ、ネズミも感情で生きている。原始脳から見れば、ネズミと私たちの間にそれほど大きな差はない。理性は使わない。ネクタイを締めるとき、私たちはネズミと同じ次元にいるのではないだろうか?
「ブッダと脳」pp60-62
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